絵を描くのは楽しい。
これは間違いない。
しかし自分のものの感じ方が、絵を描くことに不向きな気がする。
僕は知恵袋でちょろちょろ回答していることがあるのだけど、たまたまこの質問に出会った
僕はこの質問者と同様の症状がある。
親の顔も自分の顔も、空ではわからない。
そして、回答者のあげている、
「
確認なのですが、子供の頃から図形問題とか苦手じゃなかったですか?
あと、四角がたくさん積み上げられていて、奥行きにも四角形が並んでていて、
全部でいくつ四角形があるでしょうか?という問題とか苦手じゃなかったですか?
あと、絵を描くの、極端に苦手じゃなかったですか?
」
これらすべて当てはまる。
質問者はそうじゃないようだが。
今でこそ模写を繰り返したりデッサンをくりかえしたりしたので、絵として完成させる能力値はだいぶ身についたと思う。
しかし悲しいかな、いまだに頭に映像や写真として記憶することはできない。
例えば僕にとって、りんごは「りんご」であり、絵としてのリンゴはほぼ思い浮かばない。
今思い浮かべてみたら、薄黒い赤っぽい丸だった。
りんごを食べるシーンは、「だれか+リンゴ+たべる」みたいな感じであって、だれかがリンゴをかじる映像が思い浮かぶわけじゃない
細部が存在しない。もともとが非常に抽象的なので、人がわけわからん事いいだしても割とすんなり受け入れられる。ような気がする。
たとえ話とかはめちゃくちゃ柔軟に対処できる。気がする。
この話を理解されたことが一度もない。
そして勘違いしないでほしいのは、僕は人の顔がわからない病気とかそういうのではないし、会えばだれかは一応わかる点だ。
絵を描くときや地図を読むとき以外で特に困ったことはない。
方向音痴なのはあるけど。
こういうの、どうしたらいいん?
デッサンするとき、物を見る→目線を紙に→あれ???
これはすごく多い。だから手が止まることがある。
通信教育みたいなやつでこの症状をどうしたらいいか質問したことがあるが、
質問の趣旨すら一ミリも理解されなかったので、途中でその通信は放棄した。
「よく見て描きましょう」は、僕の抱える問題の前ではずれている。
僕がいいたいことは、
「目線を紙に向けた瞬間、今まで見ていた部分が何もわからなくなることがあるのですが、どうやって紙に書いたらいいですか?」だ。
えいや!で描いたりすることもある。まぁそうするとよく見て描きましょうって言われるんだけどね。
おそらく、小さいときから絵を描くことが好きだった人には、何を言っているのかわからないのだろう。
絵の先生やるひとや、美術の先生になる人は、こういうタイプもいるのだと、思っておいてください。
結局、こういうの、どうしたらいいのかなぁ